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広島高等裁判所 平成4年(う)90号 判決

裁判所書記官

細木明久

本籍

広島市中区境町二丁目三六番地

住居

山口県岩国市麻里布町二丁目八番一四号

医師

夛山博

昭和二年九月八日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成四年三月二七日山口地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官石部男出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年二月及び罰金五〇〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判の確定した日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人山口高明及び同樋口文男連名作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官石部男作成の答弁書に各記載されているとおりであるから、これらを引用する。

第一控訴趣意中、控訴手続の法令違反の主張について

論旨は、被告人の大蔵事務官に対する昭和五六年一〇月二二日付、同月二三日付、同月二四日付の各質問てん末書は、誘導的かつ威圧的な取調べにより作成されたもので任意性がないのにこれを証拠として採用して原判示事実認定の用に供した原判決の訴訟手続には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反がある、というのである。

しかし、関係証拠、なかでも被告人の取調べに当たった大蔵事務官畑本義雄の原審公判廷における供述によると、被告人に対する取調べは、在宅のまま被告人方又は岩国税務署において、被告人の診察業務や被告人の体調等に留意しながら取調べが進められたことが認められ、また、所論指摘の被告人の大蔵事務官に対する各質問てん末書によると、被告人の弁解内容も原判決が(争点に対する判断)として説示するように録取されていることが認められ、このような取調べの経過、方法、被告人のてん末書の内容に原判決が説示するような被告人の自白から否認に転じた過程などに徴すると、所論主張の調書の任意性は十分に認められ、所論は採るを得ない。

なお、所論は、被告人の昭和五六年一〇月二二日付、同月二三日付、同月二四日付、同年一一月一二日付の各質問てん末書は、その供述内容が曖昧な上混乱し、その趣旨において明確を欠いており、信用性がない旨主張するが、その供述内容を子細に検討してみても、詳細な年月日や取引状況、資金の出入りの状況等について記憶違いではないかと思われる供述部分がないではないが、その供述内容は大筋において他の関係証拠に符合していて、その信用性を疑わせるような特段の事由を見出すことができない。

以上のとおりであるから、原判決に所論の訴訟手続の法令違反があるとは認められない。論旨は理由がない。

第二控訴趣意中、事実誤認の主張について

論旨は、要するに、被告人の長男夛山潔(以下、潔という。)名義の株式売買は潔自身の取引であり、同取引による所得は潔に帰属して被告人には帰属しないから、被告人には原判示第一ないし第三の各年度の所得税の申告納税につき偽りその他不正の行為は存ぜず、所得税の逋脱に問われるいわれはなく、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで、原審記録を調査して検討すると、原判決が挙示する関係証拠によると、被告人が原判示株式の売買を潔名義で行う等の方法により所得を秘匿し、原判示第一ないし第三の各年度の正規の所得税額と申告税額との差額を免れた事実が認められ、所論のいうように被告人が行った東洋証券株式会社岩国支店(以下、東洋証券と言う。)における潔名義の株式売買取引(以下、本件取引という。)が、潔の被告人に対する財産の管理、運用全般についての包括的な委託契約に基づきその法律効果及び収益が全て潔に帰属したとは認められないから、原判決に所論の事実誤認があるとは認められず、当審における事実取調べの結果を加えて検討してみても右判断を左右するものではない。

以下、所論に則し、若干補足して説明する。

所論は、被告人は、昭和四〇年に強迫神経症に罹患していた潔の将来を案じ、潔のために同人固有の資産として同人名義で知人三名とともに山林二筆を共同購入して共有持分権を取得し、潔名義で登記を経由したのであるから、右土地の共有持分権は実質的にもまた登記簿上も潔の所有であるところ、本件取引は、右土地の一部を売却した代金を潔名義で預金した資金により行われたものであり、被告人が潔の親権者であって、潔の資産とするためにその財産の管理、運用をしているのであるから、被告人と潔の間には、本件取引について包括的委託関係があった旨主張し、右土地の売却による不動産譲渡税について潔が申告納税していることはその証左であるという。

しかし、関係証拠によると、被告人が所論のように昭和四〇年に所論の山林二筆の共有持分権を取得し潔名義にした当時、潔はまだ一二歳の小学生で右所得は被告人の独断で行われたこと、被告人が昭和四八年と同五一年の二度にわたり右土地の共有持分権の一部を売却した際には潔は成人に達していたにもかかわらず、何ら潔に対し右土地の共有持分権があることはもとより、これを売却処分しようとしていることを事前に知らせることなく売却し、右売却代金を広島相互銀行(現広島総合銀行)岩国支店(以下、広相という。)に潔名義の普通預金口座を開設して預金した後、東洋証券に潔名義で株式現物取引等の顧客勘定口座(のちには信用取引口座も開設)を開いた上、潔名義で株式取引を始めたが、以上の事実についても被告人の独断で行われたもので事前に潔と相談するとか、同人に知らせるといったことはしていないこと、以上の事実が認められる。右認定事実に照らすと、右土地の取得及び売却ともに被告人が潔名義を信用して自己の計算と責任の下に行った自らの法律行為であると認められるから、これらの潔の資産と見ることはできず、いずれも被告人に帰属するものというべきである。なお、所論主張の不動産譲渡税については、関係証拠によれば、被告人が国税局による税務調査が開始された後、潔名義で申告納税したもので、事後的に納税したからといって右認定を左右するものではない。所論は、採用することが出来ない。

次に所論は、いずれも潔名義で広相に普通預金口座を、東洋証券に潔名義の株式取引等の口座をそれぞれ開設した上、被告人本人名義口座とは区別して株式取引を行っていたこと、右株式取引に必要な資金については、他から借り入れる場合には潔名義を用い、また、被告人個人の資金を充てる場合には、潔に対する贈与税の申告を行ったり、あるいは貸与する旨の公正証書を作成したりし、被告人自身の取引と分別できるようにしている旨主張する。

しかし、単に名義を区分して取引その他の法律行為を行ったからといって、直ちにその法律効果等が名義人である潔に帰属するとはいえない。本件取引について、潔にその法律効果が帰属するとみるには、潔が所論の主張するような被告人の行為ないし事実関係を認識し、その法律効果が自己に帰属することを承認する意思が明示的になされるか、黙示的にその意思が表明されたと認められることが必要であるところ、関係証拠によれば、潔は被告人から、昭和五〇年四月ころ同人名義で株式の現物取引をしていることを、同五二年九月ころ同人名義で信用取引を始めたことを、同五五年中ころ同人名義の土地の売却代金で同人名義の株式取引を始めたことを、同五六年ころ同人名義で約一億円の資産ができたことを知らされただけで、それ以上に詳しい事情は知らず、同人は、被告人の行う株式取引について何ら関心を示すことはなかったこと、被告人は、潔が全く関知しない状況の下で、株式取引のため潔名義で九〇〇〇万円もの多額の金員を借り入れたり、被告人自らの資金を投入したりして多量の株式の売買を行い、信用取引にも手を染めた上、被告人が潔名義の口座から出金し、これを本件取引以外の被告人の親名義の国債購入等の費用に充てたりしていること、以上の事実が認められる。このように、取引や資金の出入りの状況は、まさに被告人自身の計算と責任におけるものというほかないのであり、株式取引、特に信用取引が極めてリスクの大きい取引であることをもあわせ考慮すると、そこには、被告人による潔からの委託に基づく潔のための財産の管理、運用と見ることはできない。右事実関係によれば、被告人が潔名義の口座から出金し、これを本件取引以外の被告人の親名義の国債購入等の費用に充てたりしたのは被告人の潔名義の口座に対する持込み資金(貸付金や立替金)を運用資金の状況等時機をみて返済金として清算処理した結果である旨の主張を含めた所論は、到底採ることができない。

もっとも、関係証拠によれば、被告人が株式取引資金とするために潔名義で借入れた九〇〇〇万円の返済に被告人の資金三〇〇〇万円を充てるについて右金員を被告人から潔に貸し付けた形式をとるための金銭消費貸借契約公正証書を作成した際、潔が右書類に署名したこと及び被告人の妻が潔の毎月の給料の内から約一〇万円を広相の口座に預金し、被告人がこれを東洋証券の口座に移し変えていた事実が認められるが、公正証書への署名については、潔はその目的、その趣旨が全く分からないまま被告人の指示に従ったに過ぎないことが認められ、潔の自主的判断によるものとは到底いえず、潔の給料の預金については、その金額の範囲において潔が自ら形成した財産が被告人による潔名義の株式取引に投入されていたことになるが、右金額は、被告人が潔名義で行っていた株式取引に比べて極僅かであるから、これをもって、本件株式取引の主体に関する前記判断を左右する事情とはなりえない。

さらに、所論は、当時株式取引による収益に対する事業所得としての課税要件の一つである年間取引回数五〇回の基準についても、東洋証券の潔名義口座は注文伝票総括表を利用する扱いとなっていなかったから、注文伝票総括表を利用する扱いとなっていた三洋証券株式会社東京本店(以下、三洋証券という。)の被告人名義の口座を利用すれば有利であったし、売買手数料の上からも、被告人と潔とで共通した銘柄の株式の売買をしていることが多いことに照らすと、三洋証券における被告人名義口座を利用して一括した取引をすれば有利であったにもかかわらず、わざと潔名義の取引をしているのは、被告人と潔の取引が別であることの証左である旨主張している。

しかし、幾分売買手数料の面で不利になるにもかかわらず、被告人が自己の取引とは別に潔名義の取引を行っていたのは、そのことにより、潔名義の株式取引等が潔独自の取引とみなされることを被告人が企図したためであり、年間取引回数の点についても、被告人名義の取引と潔名義の取引とで売買する銘柄が全て一致する訳ではないから、むしろ、逆に、潔名義の取引とみられることになれば、被告人にとっても有利になるのであるから、前記のとおりの本件取引及びそのための資金の出入りの状況等に照らすと、所論のような事情が被告人自身の取引であることを否定する事情となり得るものではなく、まして、被告人と潔の間に包括的委託契約関係があったことの証左になるものではない。したがって、この点の所論も採るを得ない。

また所論は、潔名義の取引の効果が潔が帰属し、被告人に帰属しないことを前提として、被告人の年間取引回数はいずれの年度においても、所得税法上の株式取引が事業所得としての課税基準に該当しない旨主張するが、右に述べたとおり潔名義の取引は被告人自身の取引とみなすべきものであるから、右所論は採用の限りではない。

以上のとおりであって、論旨は理由がない。

第三控訴趣意中、犯意に関する主張について

論旨は要するに、被告人は、東洋証券における潔名義の取引が被告人自身の取引であるとの認識を有していなかったから、被告人には、偽りその他不正の行為をもって税を逋脱する意図ないし犯意はなく、これを認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

しかし、前にみた本件取引状況に徴すると、被告人は本件取引全てを自ら行い、その事実関係を知悉しその認識に欠けるところはないと認められ、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人には本来自己の取引であるにもかかわらず、他者である潔名義で行い、もって、株式売買による自己の所得を虚偽過少に申告し、原判示のとおりの正規の所得税額と申告税額との差額を免れる意図ないし犯意があったと認めることができ、本件取引が自己に帰属せず潔の取引として潔に帰属すると考えたというのは、いかにも不合理不自然であって、採ることが出来ない。論旨は理由がない。

第四控訴趣意中、量刑不当の主張について

論旨は要するに、被告人に対する原判決の量刑が重過ぎて不当であり、その刑期を減じた上で刑の執行を猶予するのが相当である、というのである。

原審記録によると、本件は、被告人が逋脱の意思を持って、原判示のように昭和五三年度から昭和五五年度に至る三年間にわたり、各所得税額を過少申告して、正規の所得税と申告税額との差額合計約二億四九〇〇万円の納税を免れたという事案である。

被告人の本件犯行は、原判決が量刑の理由で適切に判示するとおり、その逋脱税額が極めて多額にわたり、国民の基本的義務である納税の義務を著しく損なったものである上、その手口も、複数の証券会社における被告人及び被告人の長男潔名義の各口座を利用して多数の取引を行い、高額の利益を得ていながら、取引を分割して課税要件である取引回数を少なく見せかけて課税を免れたもので悪質である。

してみると、被告人が本件脱税に至った動機が強迫神経症に罹患していた長男潔の将来を案じ、同人のために財産を残してやろうと考えたことにあり、親としての心情に酌むべきものが全くないわけではない上、被告人が案じた潔が本件を苦にして昭和五八年に自殺したこと、被告人はこれまで医師として真面目に生活しており、前科前歴はないこと、被告人の年齢等を考慮してみても、実刑で臨むしかないとして被告人を懲役一年二月及び罰金五〇〇〇万円に処した原判決の科刑は、当時においてはまことにやむを得ないものと認められる。

しかし、当審における事実取調べの結果によれば、被告人は原判決の厳しい科刑を受け、現在においては本件行為についても、また、潔への対応についても自己の浅慮を強く後悔して反省悔悟の念を一段と強めていること、潔の自殺により、被告人及びその家族が二重の苦しみを感じていること、実生活の面においても所属する医師会を退会して医療業務から退き、もっぱら死亡した潔の冥福を祈っていること、本件事案発覚から相当長期間経過して被告人も六八歳になり、一市民として地道な生活を送りながら平穏な老後を願うだけの心情にあること、原審当時においては、税務署の更正決定に基づいて正規の所得税、重加算税を納税しながらも異議の申立てをしてその税額を争っていたが、当審において右異議の申立てを取り下げて納税の意思を明確にしたことが認められ、これらの諸事情に原審当時に存した前記情状をも加えて改めて被告人の量刑を検討すると、懲役刑について被告人を実刑に処した原判決の科刑をそのまま維持するのは相当でなく、被告人に対しては懲役刑の執行を猶予して社会内における反省と更生の道を与えるのが刑政の目的にかなうものと認められる。論旨はこの限度で理由がある。

よって、刑訴法三九七条二項により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により更に判決することとする。

原判決が認定した罪となるべき事実に法令を適用すると、被告人の原判示各所為は、いずれも、行為時においては、昭和五六年法律第五四号による改正前の所得税法二三八条一項に、裁判時にはおいては、右改正後の所得税法二三八条一項にそれぞれ該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときに当たるから、いずれも平成七年度法律第九一号による改正前の刑法(以下、旧刑法という)六条、一〇条により軽い行為時の刑によることとし、いずれも所定の懲役刑と罰金刑とを併科し、かつ各罪につき情状により改正前の所得税法二三八条二項を適用することとし、以上は旧刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い原判示第一の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により各罪の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役一年二月及び罰金五〇〇〇万円に処し、同法一八条により右罰金を完納することができないときは金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から三年間右懲役刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文により被告人に負担させることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 荒木恒平 裁判官 松野勉 裁判官 山本哲一)

控訴趣意書

被告人 多山博

右の者に対する所得税違反被告事件の控訴の趣意は、次のとおりである。

平成四年一〇月三日

弁護人 樋口文男

弁護人 山口高明

広島高等裁判所 御中

第一点 事実誤認

原判決は「被告人は医院を営むかたわら、営利の目的で継続的に株式の売買を行なっていたものであるが、自己の所得を免れようと企て、右株式の売買を長男名義で行なう等の方法により、所得を秘匿したうえ、昭和五三年ないし同五五年の三年分につき、いずれも虚偽過少の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により、右各年分とも正規の所得税額との差額を免れた」旨を認定した。

しかし、右認定にかかる長男名義の株式の売買は、事実その名義のとおり長男潔(以下潔という)の株式の売買であって、それによる所得は当然潔に帰属し、被告人に帰属するものではない。

従って、被告人には偽りその他不正の行為は存しないし、被告人は右三年分とも正しく申告納税しているから、なんら所得税のほ脱に問われるいわれはない。

この点において、原判決には重大な事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第一 要約

原判決が長男潔名義で行なったという株式の売買は、東洋証券株式会社岩国支店(以下東洋証券という)における被告人の長男多山潔名義の株式売買取引(以下本件取引という)であり、これを被告人の取引であると認定した理由を要約すると、株式売買取引開始の経緯、口座開設資金及び株式売買取引資金の出所、利益金の管理、名義人である潔及び被告人自身の認識、東洋証券担当者の認識等から、本件取引の主体は法律的にも経済的にも被告人自身であって、その収益は当然被告人に帰属するというにある。

しかしながら、右の認定は、被告人の行為や関係証拠を評価するにあたり、本件の基に存する親と子の間の私法上の法律関係から目を離し、その実体を正しく見なかったことによるものと思料される。

被告人と長男潔の間は、潔の財産の管理、運用全般について被告人に一任する旨の、包括的な委託契約の関係であり、被告人の行為はそれに基づくものであるから、本件取引による収益は、すべて委託者である潔に帰属するものである。

第二 本件取引口座開設の経緯

一 潔名義の土地とその売却代金

1、原判決は、本件取引口座開設の資金となった潔名義の土地と、その土地の売却代金について、その土地は潔名義になってはいたものの実質的には被告人の所有であったと認められるとし、被告人が、土地の購入資金の拠出から売却の承諾、売却代金の管理運用まですべて潔に相談しないで自らの判断で行い、潔が関与していない、潔の承諾すら求めていない、潔名義の土地は単に登記名義が潔になっていたこと以外潔に対する贈与の意思表示と見られる事実がない、売却当時潔自身そのような土地があることも知らず、成人に達していた潔の承諾あるいは代理権授与が必要であるのになされていない、被告人自身がそれが必要であるとの認識すらない等々をあげて、右土地について実質的な所有者が潔であったものとはとうてい認められない旨、そして、右土地の売却代金で潔名義の口座が開設され、本件取引が開始されたことからすると、当初の株式購入資金は、潔の資金というよりも、被告人が支配管理する資金であったと認められる旨を判示している。

2、この判示は、「実質的な所有権」「被告人が支配管理する資金」等瞹昧な表現が用いられているが、いずれにせよ潔の宿病とそれに対する被告人の心情等、利害がなく愛情に基づいた親と子の間の法律関係に殊更目を背け、その実体を見誤ったものである。

(1) 被告人夫婦の間には、第一子長男潔のほかに、長女葉子二女慶子の三人の子があるが、初産であった潔は出生の際、産道開大が十分でなく、頭部が圧迫されて血腫を生じ生後間もなく切開手術を受けた。その後遺症のためか、以後継続して中学、高校と情緒障害、鬱状といった神経症状を示し続け、被告人夫婦にとっては親として潔に対する負い目もあり、極めて深刻な心配ごととなった。潔は治療を受けたが変化はみられず、昭和四四年潔一六才のとき広島大学病院精神科において強迫神経症の診断をうけ、同じく通院加療を続けたが実効なく、ついにこれが潔の宿病となった。そして、潔のこの症状は、変化を繰り返しながら、昭和五八年潔の自殺まで続いた。

(2) 被告人夫婦は潔の行く末を案じ、潔にだけは将来の生計に困らないように潔固有の財産を持たせてやっておきたいと考えていたところ、たまたま昭和四〇年父から知人三名共有で山林二筆の購入をすすめられたので、被告人は潔のためにこれを買い与え、共有持分三分の一を取得してやり、その旨の登記を経由したのである。

潔は当時一一才の小学生であったから、親権者である被告人がその購入資金の拠出から共有持分取得まですべて処理してやったが、この点について原判決は「登記名義が潔名義になっていたこと以外に贈与の意思表示と見られる事実がない」というのである。

親権者である被告人が、単純に贈与をするのは潔の一方的な受益であって利益相反とは関係がなく、自己契約、双方代理が問題となる筈もないから、被告人が潔名義に持分登記をしてやったこと自体が明らかに贈与の意思表示である。原判決のいうところはとうてい理解しがたい。

右の事情であって取得した山林二筆は、実質的にも登記名義上も勿論潔の所有であって、被告人が潔名義を借りて取得したものではない。被告人が潔名義を借りて取得せねばならなかった理由も全くなかった。

(3) 右二筆の取得山林は、三名の持分共有となっていたが、その後土地区画整理事業の対象となり、その換地処分によって、うち一筆が二区画の指定をうけたため、結局三区画を指定され、購入時の所在、地名、地番が町名、町界変更によって、当初の戸坂町字流谷から字浄玄寺に、そして最終的に、次のように広島市東区戸坂大上四丁目、地目も山林から雑種地になった。

〈1〉-1 三二六番七 〈1〉-2 三二六番一二

〈2〉 三二六番八

昭和四八年に至り、他の共有者の都合によって、右〈2〉の土地を共有者三名と共に売却し、次いで右〈1〉-1の土地も昭和五一年に同じく共有者三名とともに売却したのである。残った〈1〉-2の共有地は同年に共有物分割によって三等分し、潔はそのうち三二六番一六となった土地を取得し、以後単独で所有していた。

3、昭和四八年に土地を処分した当時、潔は成人に達し、京都の大学に在学していたものの、依然として親の庇護のもとに仕送りをうけて生活し、自己の財産を含むすべてについて未成年のときと同様引続き被告人を信頼し、任せてきていた。

潔の年令、その宿病、これに対する被告人の配慮等そこには当然のことながら、被告人に対して、潔の財産管理、運用等全般についてすべて一任する旨の包括的な委託契約が存していたのである。潔は後日、右土地の売得金が本件取引の口座開設資金とされたこと、本件取引が行なわれていることを知らされて感謝こそすれ異議は全くなかった。昭和五一年の土地処分のときも、右と同様であった。

本件二筆の土地は明らかに潔の所有であり、潔がこれを取得後約一〇年前と、後の二回にわたり、共有者の要望で一緒に売却することになったものである。知人との持分共有物件で互いに協力する必要があり、その機を逸すと却って困難な問題が生じることも考えられたから、潔のためにも処分は必要であり、被告人は潔を代理して共有持分の売却を行なったのである。

なお、同時に購入し、その後共有物分割により潔単独所有となった戸坂大上四丁目三二六番一六の土地については、共有関係がないから、そのまま潔の財産として残っていたが、この土地は本件査察後になって、潔が自己の所有の土地として自ら売却し、これを当時潔自身が取引をしていた株式売買の資金等にあてている。このことからも、同時に購入し、先に処分した右二筆の土地が潔の所有であったことが裏付けられる。

4、右に述べたことから明らかなように、本件土地とその売却代金は、形式的にも実質的にも潔に帰属するのである。

なお、右二件の土地売却による潔の不動産譲渡所得税については、当然のことながら潔が、その義務者として申告納税を了している。

二 本件取引口座の開設

1、被告人と潔の間には、潔の財産の管理、運用の全般について被告人にすべて一任する旨の包括的な委託があったから、受託者の義務として、被告人は潔の財産管理のため、昭和四八年に自らの預金等との混同を避け、これと区別して、広島総合(旧相互)銀行岩国支店(以下広相という)に潔名義の普通預金口座を開設して、右土地の買得金を預け入れ、以後潔の金員はすべて同預金口座を通すことにした。昭和五一年の土地売却代金についても、同様の処理をした。

これが被告人所有土地の処分による買得金であれば、自己の預金に入れるなり、自由に処分した筈である。

そして潔財産を有利に運用するため、昭和四八年末に東洋証券に潔名義の現物取引口座を(顧客勘定口座)を開設し、右広相の潔名義の預金口座から、土地売却代金のうち不動産譲渡所得税相当分を留保し、その余の約九〇〇万円を東洋証券の潔名義口座に移し、国債等を購入して有利に運用した後、これを売却してその代金をもって潔の本件取引の資金とした。次いで昭和五一年の土地代金のうち約七〇〇万円についても同様の処理をして資金とした。

2、昭和四八年当時被告人は、地元の東洋証券に被告人自らの取引口座を有し、それとは別に三洋証券株式会社東京本店(以下三洋証券という)にも取引口座を持ち、さらに、それに加えて東洋証券に、潔名義を借りて自己の取引口座を開設する理由は何もなかった。

3、被告人が潔の財産運用のために、東洋証券を利用したのは、地元の証券会社で取引があり、被告人のこれまでの経験から、国債や株式等の売買取引が有利と思っていたからであって、不動産投資、貴金属取引等には、およそ経験がなく、危険があるので手出しをしなかった。それ以外に理由はなかった。いわんや被告人の株式取引の分割のためということは想定だにしなかった。

4、被告人が本件取引口座を開設した理由は、前述したとおりであるが、原判決は、右の点に関連し、争点に対する判断において「・・・・被告人が潔名義の口座を開設して、同人名義で株式売買取引を行なうようになった経緯は、被告人が自分名義の売買回数を減らす意思があったか否かはさておき・・・・」として明確な判断を避け、他方量刑の理由中においては、開設した理由として直接摘示したものではないが「・・・・脱税の手口は、被告人名義の取引と長男名義の取引に分割して、課税要件である取引回数を少なく見せかけて、課税を免れようとしたものであって・・・・」と判示している。

この点は、本件がほ脱犯構成要件の「偽りその他不正の行為」に該当するか否か認定するうえで重要であるので、本件潔名義の口座開設と、被告人の取引の分割との関係について意見を述べる。

(1) 株式売買取引において、株式売買回数の判定基準については、所得税法が株式売買益を原則として非課税とし、例外として施行令二六条一項は、実質的基準を規定し、同二項は「・・・・その年中の取引の回数が五〇回以上・・・・」の場合は課税所得とする旨の形式的基準を定め、右「五〇回」の判定基準については、証券業界では専ら「基準通達」に依拠して実務上行われ、その「九-一五」は「証券会社に委託して株式の売買を行なった場合、証券会社との間の委託契約ごとに一回・・・・」とし、その(注)1において、「・・・・証券会社との間の一の委託契約に基づいて行なわれたことが明らかである場合の売買とは、例えば委託の際、証券会社から交付を受けた

注文伝票総括表

に記載されている内容に従って行なわれた売買をいう。この場合において、当該注文伝票総括表に記載されている銘柄に係る取引が、二回以上にわたって行われた場合の当該銘柄に係る売買報告書には、その内出来である旨の表示がされることになっていることに留意する」としている。

(2) 注文伝票総括表を回数判定の基準とする実務から、被告人は三洋証券に委託して、以前から注文伝票総括表を利用して取引していた。この総括表記載の全取引が一回とされるので、これを利用する利益は大きく、散発的に個々の発注をする場合(それぞれが回数に加算される)に比して、大量にかつ多種の銘柄の売り買いが可能で、しかも回数は一回にすぎない。

被告人は昭和四八年ころから、三洋証券の投資顧問平尾ヨシエからの情報で取引をしていたし、右総括表利用であるから、一回の取引で多数銘柄を多数株取引することができた。従って三洋証券のみで取引の用はすべて満たされていた。

(3) 一方東洋証券は、右注文伝票総括表を利用する扱いがなされていないうえ、取引情報も平尾情報に比して問題にならないので、ただ地元としての付合いに過ぎなかった。非課税取引の限度枠年間五〇回は、委託会社が異なると、回数に計算されるから、同じ銘柄を注文するとき、東洋証券五万株三用証券五万株という取引をすると二回になり、その合計一〇万株を一括して三洋証券を通じて取引をすれば、一回ですむうえ、株式売買委託手数料率は売買代金の増加により遍減するから、売買手数料も少なくおさえられるのである。三洋証券で注文伝票総括表を利用して明らかに年間五〇回未満の取引であれば、重複して他の証券会社と取引する利益はないし、却って無駄になるのである。

(4) 原判決は、潔名義の本件取引が、被告人の取引であると認めた理由の一つとして、「潔名義の本件取引と被告人の取引で共通した銘柄を選定していること」をあげ「本件取引を被告人が自己の取引の一部に過ぎないという認識のもとに行なっていたものというべきである」と判示しているが、これは誤りであって、むしろ、共通銘柄の選定は、被告人の主張を裏付ける事実である。

共通銘柄であれば、委託会社窓口を一本にした方が、回数計算上も売買委託手数料も有利であって、分割の利益は全くない。このことは前述のとおりである強いて共通銘柄取引の分割が利益となることを想定すると、二つの取引口座の取引が、いずれも年間五〇以上で課税対象となり、その状態のところに、多額の益金が見込める取引をなすとき、その益金を分散する必要があるということになるのであろうか。本件ではかかる事情は全くない。被告人の認識は前記総括表に基づいて、三洋証券において年間回数を多くても四〇回まで、既ね三〇回前後におさえていたから、取引の分割の理由、必要はないし、いわんやその意思は当初より存しなかった。

(5) 被告人が共通の銘柄を選定しているのは判示のような理由ではなくて、被告人が信頼する平尾情報による取引を、一人占めにしないで潔の取引にも利用して、より有利に運用してやろうと思ったから、共通銘柄を選定したのである。従って、この事実は、本件取引が潔の取引であることを裏付ける証左である。

第三 本件取引とその収益の帰属

一 原判決は、被告人が潔名義の土地の購入、売却、同人名義の口座の開設、その資金の移動、運用、借入金の手続等潔名義の本件取引にかかわる一切の事項について自己の裁量で行い、潔に一切了解を求めず、潔名義の取引と自己の取引で共通した銘柄を選定し(この点については前述した)本件取引のリスクを考えず、資金不足のときは自己資金を投入し、潔名義の借入金の一部を弁済し、潔自身負担すべき資金を自ら拠出する等から、本件取引は自己の取引の一部との認識のもとに行なったとし、その他の認定事実を加えて、本件取引の主体は、法律的にも経済的にも被告人自身で、その収益は被告人に帰属する旨を判示した。

二 本件取引の外形をみると、その形態があたかも被告人が自己の取引の一部として行なったようにも見える。

しかし、潔と被告人との間は、潔の財産管理、運用全般について、それを一任する旨の包括的な委託契約関係にあり、被告人は受託者である。株式売買取引は絶対的商行為であり、その取引の特質から、受託者は委任の目的を達するために必要であれば、受任の本旨に反しない限度で範囲を越えて、委任事務を処理することができる(商五〇五条)

被告人は株式取引のすべてにつき、その裁量で自由に売買し、かつその委任事務を遂行するうえで運用資金の効率化をはかる必要すらある。原判決が、本件取引の主体を被告人自身であると認めた外形的事実は、むしろ受託者としては当然の行為である。運用資金の効率化のため、買付株式を担保にして再資金を得ることも、自ら資金を投入するとか、一時的なつなぎ資金を持ち込むことも、或いは借入金を投入して資金量の拡大をはかることも、逆に借入金を返済し負担をなくして相場の様子をみることも、それらのための諸費用も必要で、それらは、業界の常識とされる行為であって、受任の本旨にそうものであり、時にリスクを伴うとしても、問題とはならない。

三 潔と被告人との間の、包括的な委託契約は、それが潔に対して、時期をみて取引の経過や結果を知らせるに過ぎない場合であっても、潔の資金、利益について、これが他の借入金やその返済、貸付けないし立替金とその返済、その他本件取引とその効率運用のための諸費用と分別できる程度に管理され、裏付けとなる何らかの証憑書類が存し、潔が望めばそれらの内容が資料で説明できる限り、本件取引は潔が、被告人を介して東洋証券に委託して行なったものというべきである。

四 そして、右の諸点について、被告人は、当初より潔の資金を、潔のためにすべて管理し運用するために、広相、東洋証券にいずれも潔の口座を設けて他と分別し、本件取引の明細はもとより、別口の大阪証券金融株式会社からの潔の入担による借入と返済、借入金の公正証書作成、贈与金の税務申告等々によって、その資料を残し、その他の資金移動も潔の口座や他の口座とで説明ができるようにしていた。

事実被告人は潔に対し、折りにふれ取引の経過を話し、潔もそれを承知し、昭和五六年に入ってから、当初取得した土地代金を国債等で有利に運用して売却し、その資金に次の土地売却代金を加え、これに被告人の贈与金、潔の給料等からの入金、株式売買益の再投資等々で、運用はうまくいって、投入した資金と利益を合計すると一億円にはなると計算し、その旨を潔に知らせ、宿病を持つ潔は喜び感謝し、心に張りをもっていた。そして潔は、今後は被告人への委託ではなくて、三洋証券顧問平尾ヨシエと相談して自ら株式売買取引をすることにし、国債等を売却したり、自己所有の前記土地(本件土地のうち、分割して潔単独所有となって残していた、三二六番一六の土地)を売却して資金とし、被告人の紹介で三洋証券と株式取引をするようになった。

五 右の事情からすると、被告人は受託者としての善管義務もつくしており、本件取引は潔が被告人を介して東洋証券に委託して行なったもので、潔の取引であり、それによる収益も当然潔に帰属するというべきである。

なお、潔名義口座から出金し、これを本件取引以外の被告人の親名義の国債購入等の費用にあてたことについて、右出金は被告人の潔口座に対する持込資金(貸付や立替金)を、運用資金の状況等時機をみて、精算処理した返戻金であって、当然被告人が弁済をうけるべき金員であるから、被告人がその金員を国債等の購入にあてても全く問題にならない。

第四 被告人の株式売買取引回数

一 前述してきたとおり、東洋証券における本件取引は、その名義のとおり、潔の取引というべきである。従って被告人の株式売買取引の回数としては、三洋証券と東洋証券における被告人名義の口座における取引回数によって判断されることになる。

二 原判決は、本件取引が被告人のものと認定される以上、三洋証券と東洋証券の被告人名義の各取引を合計すると、取引回数は年間五〇回以上であることは明白であるとして、具体的な個々の取引による事実認定はしていないが、合計回数認定のための三洋証券(東洋証券の取引回数については、争いがない)の被告人名義の取引回数については、注文伝票総括表の枚数を基にして、同一日の取引と認められる回数を減じて算出した回数は、次のとおり認められる(この点に争いはない)と判示している。

(1)昭和五三年分

三洋証券被告人名義・・三〇回(東洋証券九回)

(2) 昭和五四年分

三洋証券被告人名義・・二四回(東洋証券一〇回)

(3) 昭和五五年分

三洋証券被告人名義・・三七回(東洋証券二回)

そして、右認定に反する検察官の、右三年分の回数は、それぞれ四二回、四八回、六一回であるという主張に対しては、特にその成否について判断をしてないが、右の判示からすると、それを排斥した趣旨である。

三 そうすると被告人の取引回数は、三洋証券と東洋証券の被告人名義の口座取引の合計で、その回数は次のとおりとなる。

(1) 昭和五三年分 三九回

(2) 昭和五四年分 三四回

(3) 昭和五五年分 三九回

四 右のように、被告人の株式売買取引は、いずれの年度においても、施行令二六条二項の「年間取引回数が五〇回以上」の課税所得基準に該当しないから、原則にもどって非課税所得となる。

第五 被告人の認識

一 本件については、前記「本件取引口座開設の経緯」「本件取引の帰属」で述べたように、被告人は潔の包括的委託のもとに、東洋証券における本件取引を、被告人自身の主として三洋証券における取引と並行する形で行なってきていた。そのことが本件取引についても、これを被告人自身の取引と見誤れることになったもののように思料される。

しかし、被告人の認識はあくまでも本件取引を、受託者として潔のために行なったもの、従ってそれが被告人自身のものという認識は全くなかった。

被告人は本件当時、年間五〇回の所得課税要件は、勿論認識していたし、注文伝票総括表や平尾ヨシエとの電話連絡の際、回数確認も行なっていた。潔の本件取引についても、受託者として内容を熟知し、被告人自身の取引回数と潔の本件取引回数を合わせると五〇回以上となることは認識していた。

二 原判決は「・・・・少なくとも前記潔名義の取引が、被告人自身のものであることを基礎づける客観的な事実を認識していたことに徴すれば、被告人が潔のため資産形成をするという主観的意図を有していたとしても、それのみが唯一の理由でなく、税ほ脱の意図をもって、潔名義で株式売買取引を行なうという、偽りその他不正の行為を行なったものといわざるを得ない」旨を判示しているが、これは実体を見失い、論理の飛躍がある。

原判決が「被告人自身のものであることを基礎づける」というところの各客観的な事実は、同時に「受託者としてのものであること」にも置き換えられるのであって、そのことからは、とうてい被告人の税ほ脱の意図、偽りその他不正の行為は認定できない。

第二点 訴訟手続の法令違反ないし事実誤認

原判決が、証拠として挙示する被告人の大蔵事務官に対する質問てん末書は、その任意性に疑いがあって証拠能力に欠けると思われるうえ、かつ合理性、信用性にも乏しいのに、原判決が、これらの証拠を採用して事実を認定したことは、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反ないし事実誤認がある。

第一 任意性

一 被告人に対する昭和五六年一〇月二二日、二三日及び二四日付けの三通の各質問てん末書は、極めて抽象的で雑ばくな自白調書になっているが、被告人は第三三回、第三四回、第三五回、第四二回の公判において、これらの調書作成時の状況について、畑本主査と共に被告人の取調べに当たった応武統括査察官が (1)査察当局の見解に同調すれば事件は早期にまた穏便に処理されるだろう (2)査察当局の見解に同調しなければ、マスコミによる報道があることをほのめかす (3)親が子に資産を譲渡し、それで株式取引をして子の財産を殖やすということは社会的に許されないことだ、あくまで潔名義の口座は潔のもので被告人の口座とは別のものだといいはるのであれば贈与税をかけたうえ所得税もかけるがそれでもよいか (4)畑本主査が書きかけた調書をみて、こんななまぬるいことでは駄目だ、といって自分で何か書いて、それを畑本主査に手渡し、畑本主査はそれをみて調書を書きなおしたことがある (5)君の主張や認識をきいているのではない。客観的にみて潔口座は被告人の口座ということになるのだ、等々といったことを強引に畳みかけてきて、こちらの言分をきいてくれる気配が全くないので、つい抗しきれないで査察側の見解で作られた調書に不本意ながら署名しなければならなかった旨を供述し、応武統括の誘導的かつ威圧的な取調をうけたことを述べている。

二 被告人の供述は極めて正確な記憶に基づく臨場感を伴う供述であり、それまで、かかる経験を持たず一応は、医師として社会的地位を保ち、信頼を得ていた立場にある者が、突然の査察によって心を乱し、うろたえ世間体のこと家族子供のことに思いを回らせているところに、誘導的かつ威圧的な言動によって、右てん末書が作成されたように思われる。この調書の任意性については疑いが大きい。

第二 信用性

一 被告人に対する、昭和五六年一〇月二二日、同二三日及び二四日付各質問てん末書における自白部分の供述記載は、その文言が曖昧なうえ混乱し、その趣旨において明確を欠くところがあるが、その要旨は次のように理解される。

潔口座は被告人の借名口座であるから、その運用収益被告人に帰属する。

昭和五三年七、八月頃、三洋証券における売買回数が五〇回を超しそうになったので、東洋証券の長男潔名義の取引口座を開設し、これに自分の取引を分割して売買回数を少なく装って申告しなかった。潔口座の運用資金とした、潔名義の土地の売却代金は潔のもので、潔からの預り金であるから潔に返済しなければならない。

しかしながら、潔口座は昭和四八年に開設運用されていたものであり、昭和五三年七、八月頃、売買回数が課税枠の年間五〇を超しそうになったので自己の取引の一部を潔口座に分割したということは明らかに客観的事実に反するものである。

被告人の昭和五三年分の三洋証券における年間の取引回数は、三〇回に過ぎなかったし、その年の半ば七、八月ころなら、二〇回にも達しておらず、その時期に、取引が五〇回を越えると被告人が思う筈がない。回数について被告人は、平尾ヨシエとの電話での取引の際、常に確認をとっていた。

査察当局が、取引分割の理由づけとして想定し、被告人の答えとして記載された事実が、却って事実に反する記載になっている。

さらに、前述したところであるが、被告人には潔名義を利用して、自分の売買回数を少なくする理由も必要もない。三洋証券における被告人口座と、東洋証券における潔口座の売買銘柄の多くは共通しており、三洋証券における被告人の売買については注文伝票統括表によるのであるから、その注文伝票総括表によって一括注文すればよいわけで、わざわざ売買回数を少なく見せかけるため潔口座を開設してこれを利用する必要はなかった。

二 被告人に対する昭和五六年一一月一二日付け質問てん末書をみると、被告人が一変して事実を認めたような記載になっている。それまでの三通の質問てん末書と、相当趣が違ってきている。被告人が質問に対して抵抗し、査察官が苦労をし、外堀から埋めるような、認めたような否認しているような、事件と関係がないようであるような、言い分を記載したようでどちらとでも解釈ができるような、表現が消えてしまっている。

これは被告人が腹を決めたためである。原審第三五回公判における被告人の供述にあるように、被告人は、いくら話しても聞いて貰えないし、査察官の決めた結論を押しつけられて、本心ではもう争うしかないと決めたのである。決めた日が一一月一〇日ころであった。それから急拠手をつくして、一一月一七日に突然広島国税局長あてに、被告人の本心を吐露した嘆願書を提出するという挙に出た。

そのように腹を決めたので、一一月一二日付けの質問てん末書については、どうでもよい、という気持ちでいたから、かかる記載になったのである。素人考えながら、別の方法で自己の主張を、認めて貰おうと思ったのである。

三 右のような事情であって、被告人の右四通の質問てん末書は、その信用性が極めて疑わしいものといわざるを得ない。これを証拠の一部に採用して、「・・・・本件脱税の事実の概要、潔名義を使用した分割取引の事実及び右潔名義の取引が被告人自身の取引であることは、被告人も大蔵事務官に対する四通の質問てん末書において認めるところである・・・・」旨を認定した原判決には、重大な事実の誤認があるといわねばならない。

第二点 量刑不当

前記事実誤認の主張が認められない結果、被告人に対する有罪が認容されるとしても、原判決の刑の量定は甚だしく重きに失し、不当であって、これを破棄して減刑のうえ刑の執行を猶予するのが相当と認める事由がある。

一、動機について

被告人は強迫神経症という宿病を背負った長男潔の行く末を案じ、潔が将来の生計に辛苦しないように苦慮し、潔に潔固有の財産を作って持たせておくことで、その将来の経済的不安を軽減させようと考えたのである。

原判決もこの点について、「その動機は、強迫神経症という病気を背負った長男の将来に対する不安を取り除こうというものであるが」と認定している。

強迫神経症という社会生活に適応しがたい宿病を背負う子を持つ親が子の将来を危惧する苦悩は、筆舌に尽くしがたい程に甚深かつ重大である。

本件は、病弱の子を思う親が子に代って子名義で株式取引口座を開設し、株式取引を行なった事案であり、この裁判においては、いわばその親心が裁かれているのである。

このことに十分なご理解と情状酌量をお願いしたいのである。

二、本件所為の態様について

被告人は、前記のとおり、長男潔に潔固有の財産を作って持たせておこうと考えて、被告人名義の取引のほかに潔名義取引口座を開設して、この二つの株式取引を行なったのである。

そして、このことが課税要件である取引回数を少なく見せかけて課税を免れようとしたものであるとの非難を受け、かつ問責されているのである。

しかし、被告人が潔名義の取引口座を東洋証券に開設したのは昭和四八年のことである。

この昭和四八年当時は、本件で問題となった「株式の年間売買回数が株式売買取引による所得に対する課税要件である五〇回以上であったか否か」という課税要件はなかったのである(この課税要件の適用、実施は数年後のことである)。

しかも、昭和四八年当時、被告人は東洋証券に自らの取引口座を有していた。

この二つの事実だけからも、被告人が課税要件である取引回数を少なく見せかけて課税を免れようとして、被告人名義の取引と潔名義の取引に分割したものでないことは容易に認められると思う。

さらに、前記課税要件が適用された期間中といえども、注文伝票総括表を取引回数判定の基準とする実務に鑑みると、前記第一点の二の4、(1)ないし(4)記載のとおり、被告人はこの注文伝票総括表を利用することによって、必ずしも、課税を免れるために二つの取引に分割する必要がなかったという事情がある。

また、最近の証券業協会は「病気の夫に代わって妻が夫名義の株式取引口座を開設し、病弱の子に代わって親が同様に子名義の株式取引口座を開設する場合は仮名口座ではない」と通達しているが、これは病気の夫を抱える妻や病弱の子を持つ親の心情を正しく理解したうえの正当な取り扱いであるということができる。

以上のことから、被告人が潔名義の取引口座を開設して株式取引をした所為は、仮に原判決のように「課税を免れようとしたものである」と認定されるとしても、原判決のように「悪質な犯行といわなければならない」というべきものでは、決してないと思う。

三、原判決の指摘する脱税額について

原判決は、「脱税額は二億五千万に近く、・・・個人の脱税額としては極めて高額である」と指摘している。

しかし、株式売買の損益算定には、約定日と受渡日の二つの基準がある。

そして、法人による株式売買より生ずる損益と個人による株式の信用取引より生ずる損益の帰属時期は、いずれも受渡日の属する年分の損益とするという、いわゆる受渡日基準による旨の通達がある。しかし、本件損益のように個人の現物取引から生ずる損益の帰属については、その帰属年分についての通達がないから、いずれの基準によるか、いずれの基準によるのが株式取引において合理的、妥当であるか、大いに議論のあるところである。

この点、弁護人は、株式売買においては、現物取引から生ずる損益が具体的に確定するのは受渡日であり、信用取引と別異の取り扱いをする合理的ないし相当な理由はないから、受渡基準によるのが相当と考える(因みに、平成四年四月一日より施行されたキャピタル・ゲイン課税においても、同年四月一日以降、受け渡された取引を対象として課税されている)。

ところで本件株式売買の損益の算定において、これを受渡日基準で算定すると、昭和五五年度分は約五千万円の減額となり、昭和五六年度分としては、潔の株式売買所得について一千万円をこえる所得税金を納税している。

なお、原審の記録によると、検察官も一時期、本件の株式売買の損益算定について受渡基準によることの合理性と相当性を認め、約定日基準による損益計算の考え方を改め、受渡日基準による損益計算に変更して主張することにしたという経緯があるようである(その検察官は転勤し、本件を引き継いだ検察官は、約定日基準による損益計算へ再びその主張を変更した)。

原判決は、約定日基準によって本件株式売買の損益を算定しているのであるが、これを受渡日基準によるとすれば、前記減額が生じるのである。

また、受渡基準日によると、例えば昭和五六年度分は益金がなく、損金が生じていることになる。

四、原判決指摘の高額脱税の社会的責任について

高額の脱税事案の社会的責任が重大であることは、原判決が指摘するとおりであると思う。

しかし、本件は、原判決も指摘しているとおり、また既述したように、被告人の所為の動機は、唯一つ、「強迫神経症という病気を背負た長男の将来に対する経済的不安をとり除こうというもの」、「長男のために資産を残すことにあった」というものであり、またその所為の態様も前記のとおり、斟酌すべき事情がある。

そのうえ、原判決も指摘するように、「資産ができたものの、長男が自らの生命を絶つという事態」が生じた。

この事態は、親である被告人と妻にとって、実に痛恨の極みであり、それからの余生というものはまさに地獄の獄舎にあって、悔恨と苦悩に叫喚する日々である。

このような事情について、十分なご理解を頂き、ご深慮を賜りたいのである。

五、原判決の指摘する税金の納付について

被告人は、原判決の指摘するとおり、本件について修正申告はしていないが、既に昭和五七年三月、税務署の更正決定に応じて、当該国税と地方税の合計四億円をこえる金額の税金の納税を完了している。

また、さらに付言すると、被告人夫婦は、昭和五八年長男潔の死亡による遺産相続(昭和四八年以来の資産、所得を含む)について、分割協議による相続税として三千万円をこえる税金も納税を完納している。

六、その他の事情

被告人は、本件のため、平成四年四月三〇日付けで、岩国市医師会は脱会し、同会会員資格を返上して医療業務および医院経営を引退して現在に至っている。

被告人は論語の「耳順う」の高齢となった現在、そして多年の生業を放棄、引退した現況で、悔悟と謹慎の日々を過ごしている。

原判決は、被告人には「反省改悟の情は認められない」というが、なにとぞ、被告人の右の事情もぜひ斟酌して下さるよう懇願する次第である。

また、原判決は、「被告人は、当初脱税を認めておきながら、後日になってこれを翻して争い」として、「反省改悟の情は認められない」とも指摘している。

しかし、被告人の心情としては当初から、前記動機などを訴え、その理解を求めていたものであったが、この点の理解が得られないことが被告人としては不本意であったということである。被告人がその心情を率直に訴えることを、単に「反省改悟が認められない」と断定することは誤りであると思う。この点も、十分にご理解を頂きたいと切望してやまない。

以上のとおり、前記事実誤認の主張が認められない結果、被告人に対する有罪が認容されるとしても、原判決の刑の量定は甚だしく重きに失し、不当であるから、なにとぞ、これを破棄して減刑のうえ刑の執行は猶予する旨のご判決を賜りたい。

以上

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